日経BP社主催の講演会に参加しました。
実は私の自転車は「あさひ」製です。以前日経ビジネスか何かの雑誌で、「上場したすごい自転車屋がある。」と言うことを知り、興味を持ったことがきっかけとなって購入したのです。
サービス力がウリと聞いていたのですが、近くに店舗がなく、残念ながら購入した時に一度行ったきりです。
そろそろ点検してもらいに行こうと思っています。
そんないきさつで、下田社長の講演があるということなら、是非お話を聞いてみたいと思っていました。
東証1部上場企業の社長にもかかわらず、気取ったところが一切無いお人柄に私だけでなく聴衆は魅了されたのではないでしょうか。
講演の後、名刺交換にも応じてくださり、私の個人的な質問にも丁寧にアドバイスをくださいました。感謝です。
以下は、講演のメモです。
現在252店舗
1948年生まれ
玩具の製造町工場を両親が始めた。
三男だが後を継ぐことになった。
高校卒業後3年間は、外で勤めた。
その後商店街に16坪のおもちゃ屋を始めた。
GMSが破竹の勢いのころ。
昭和45年。22~3歳のころ。
ダイエーができてから、全く客が来ない。
3年間ほど、毎日お客様が来なくて外を眺めていた。
非常に辛かった。
しかし、鼻っ柱の強い、若い頃にこのような経験ができたことは、今思えば、素晴らしい経験だったと思う。
25~6歳の頃、自転車屋に転換した。
自転車製造は堺の地場産業だった。
自転車屋やったらやれるのはと思った。藁をもすがる思い。
自転車はお客様とハートがつながる。
最初は技術も知識もないので、サービスで勝負するしかなかった。
34歳くらいまでの間に、街の自転車としてはかなり売っているほうだった。
しかし、価格競争に巻き込まれた。
ブリジストンのみでやっていた。
一念発起して、競技車、プロスポーツ車について勉強し始めた。
他店はツンとしているところが多かったこともあり、プロショップでも大成功した。
めちゃくちゃ売れた。日本一か二番目くらい。
津波のような仕事量。一日18時間くらい働かなければならないくらい。
42~3歳ころ体力的にもキツくなってきた。
一方、一般の自転車はGMSなどによる安売り競争。
「安心・安全を最優先しなければならない乗り物」が自転車だから、こんな事で良いのか?という疑問が大きくなった。
安ければ本当に良いのか?
これが本当に消費者の利益になることか?
そこで、プロショップで儲かっていたので、自分の思い通りの店を作って世に問おうと思った。
「こんな店がほしかった」と言われどんどん売れた。
スポーツ車で年間2億5~6千万売っていた頃、一般車は初年度1億5~6千万売れた。
毎年1件、2件店を増やしていった。昭和50年代。バブルのちょっと前。
斜陽産業、成熟産業極まりないころでもあった。
そしたら、バブルが崩壊。
就職氷河期。優秀な人材が自転車にも来てくれるようになった。
郊外に空き家がドンドン出てきた。
それを利用しタダ同然で店を出せた。
とにかく損益分岐点を下げようと考えた。
自転車はよく売れた。
自分自身で優秀な新卒を採用できるよう活動した。
安さは合理的でなければ、企業は発展しない。
安く出来る理由が必要ということ。
ある程度の販売ができるようになったら、自分たちで製造しようと思っていた。
いま年間130万台売っている。
徹底的に力を入れたのが、従業員の人間力を向上させること。
150坪から200坪の店舗面積に自転車だけ置いている。
駐車場がなくてお客様へご不便をかけていたときもあったが、これじゃあいかんと思って改善した。
採算が取れなくて店を占めたのはほぼゼロ。
250戦、250勝。自惚れているわけではない。
勝負事ならありえないが、これは勝負ではない。
新業態として開発したから成し得た。
新しい業態が普通になるまでは、店をドンドンだしてゆくだけ。
競争相手もいないし。当然。
ただ、長い歴史から見ていると一瞬のこと。
まず、未来を想像し、そして「これじゃあいかん」という思いが大切だったと思う。
これまでは良かったとしても、今後も続くとは限らない。
京都のゲーム会社の例などをあげて、従業員に話している。
一方、変わっていけないのは、お客様への情熱。正しい経営姿勢。
上場、いっぺん言い出したら男としてはやらねばならない。
3.11以降。世の中が大きく変わる節目かと思っている。
自転車にとっては、やっと21世紀になって風向きが変わってきた。
環境問題。健康志向。
しかし、問題もある。
マナー違反。
交通弱者のマナー違反が非常に多い。
都心に車で来る必要はないのではないか。
ロンドンなどは自転車が走りやすい街づくりをずっとやっている。
自転車社会に対する流れは変わらない。日本も法整備や街づくりが必要。
今から考えると、若い時の苦労は本当によかった。
「お客様第一」をどういうふうに実現していくことが仕事。
どのようにして「お客様第一」を現してゆくのか。がこの40年間の仕事だった。
人生は20年、40年、20年にわけて考えると良い。
「お天道様が見ている」ということを二十になるまでに教わる
その後の40年。社会との関わり合いがある時期。
非常に大事。
計画は今の必要をわからせてくれる。
5年間、10年間の計画を立てると良い。
ただ頑張っているだけでは、夢は夢で終わってしまう。
計画をたてて、ただ、やればいいだけ。
人の命は限りがある。
会社はもっと長生きして欲しい。
会社はリレー。
第二走者に継いでいくことも計画。
ブリジストン。久留米の地下足袋会社だった。
足袋屋が足袋屋で終わってはいけない。変化に対応し、自分たちも変化することが大切。
うまく行っても、自惚れてはいけない。
常々、いいことは続くわけがないと考えることが大切。
お客様第一は「Yes」から始まる。
ダメな従業員は「No」から入る。なんか自分の立場しか考えない。
「Yes」から入って、なんとか実現しようとすることが大切。
そいいうことを教えている。
50過ぎてきて、見えてきた。簡単になってきた。
自分の判断基準が定まったと感じた。
若いうちは上昇志向を持つのが当たり前。
そうでなければ商売はできない。
儲かるか、儲からないかは判断基準にしてはいけない。
そのことが、正しいか正しくないかを基準として判断している。
迷いがなくなった。
全社一丸となって、この価値判断でやっていることが、ちゃんとした利益につながってくる。
■�質疑応答
Q:自転車は出張修理、車での引取り、ロードサービスなどしないのか
A:痛いところをつかれた。
課題だと思っている。
昔、無料出張修理をやっていたことがある。
採算が取れなかった。人手が足りなかった。
あさひが出張修理します。と言ったら絶対責任を取らなければならない。
私はやりたい。お客様が喜ばれるから。
ドミナントエリアで一度実験をしてみようと思っている。
いまは出来なくても、いつか出来ると思い続けていたいと思っている。
仕組みづくりをします。
そのためにはもう少し店の数が必要かもしれない。
Q:自転車用のインフラ整備について国に働きかけているか?計画はあるか?
A:これまでは自転車のことは忘れられてきた。
モラルについても問題意識をもっている。
絶対にアサヒの社員は信号を守るように言っている。
Q:初年度から利益があがるとのこと。たの資本力のある会社が真似できないのはなぜか?
A:人に尽きる。
セルフサービス、安さ。を目標にしてきた会社と、安心安全に中心に据えている会社とは大きく違う。
何度も何度も言って聞かせている。
入社して3年もすれば、いい感じに育っている。
Q:会社起業して10年。右腕が育たない悩みがある。どのように企業理念を浸透させたのか。
A:43歳からチェーン展開始めた。軌道に乗るまでに5年くらいはかかった。
入ってきたのは若い連中がほとんどだった。
自分が先頭にたって、一生懸命育ててきた。引っ張ってきた。
いまの役員はすべて40代。
みんな現場あがり。
(経理などはあとでよそから入ってもらったが。)
自分で何もかもやって、人を育てた。
いろいろやらなければならなかったが、「そやから面白い。」と思っている。
津波のように仕事が来て、やらされる。
50歳くらいまでは年間の休みは30日くらい。
休みといっても午前中は仕事をしなければいけなかった。